2025年1月8日、厚生労働省が「労働基準関係法制研究会」の報告書を公表しました。
⇒労働基準関係法制研究会」の報告書を公表します
今後のことは何も書かれていませんが、法や通達の改正が進められることになります。研究会が進む中で、連合も含めてさまざまな団体が意見を発表してきました。
以下、CUNN事務局長としての「談話」をお伝えします。もっと積極的に評価すべき部分や、批判すべき部分もあるかと思います。あくまでもたたき台として、労働組合や職場での取り組みに活用してくださるとありがたいです。ご意見、ご質問等あればご連絡ください。
コミュニティ・ユニオン全国ネットワーク事務局長
川本浩之
はじめに
まず、この報告書をまとめるにあたって、多くの研究者や厚生労働省事務局が努力を重ねたことに敬意を表します。ただ、報告書4ページでも触れられている1987年の労働基準法の大きな「改正」以来40年近く経過する中で、社会経済情勢はもとより、働き方や労働基準・補償行政の変化、そして何よりも労働者の闘いの結果である裁判例が数多く蓄積されてきたにもかかわらず、こうした議論がほとんどなされなかったことの方が非常に残念です。
「Ⅰ はじめに」について
5ページで紹介されている「新しい働き方に関する研究会」報告書に対する疑問点になりますが、「全ての人が心身の健康を維持しながら幸せに働き続けることのできる社会を目指すということ」<“守る”の視点>と「働く人の求める働き方の多様な希望に応えることのできる制度を整備すること(様々な働き方に対応した規制)<“支える”の視点>が別々のものであるという捉え方が理解に苦しみます。
「全ての人が心身の健康を維持しながら働き続けること」と「働き方の多様な希望に応えること」は何ら対立するものではありません。「多様な希望に応える」制度がなければ、「全ての人」が「幸せに働き続けることのできる社会」など出来るはずがないからです。
そもそも労働基準法は、「使用者は***しなければならない/***してはならない」という条文になっています。労働安全衛生法もほぼ同様です。そして労働基準監督官がその実効性確保を担ってきたのは事実でありますが、併せてむしろ個々の労働者や労働組合が大きな犠牲を伴いながら労働争議を闘い、さらに心ある弁護士らが裁判を通して、「全ての人が心身の健康を維持しながら幸せに働き続けることのできる社会」を目指して奮闘してきたのが、労働基準関係法制の歴史です。解雇、賃金差別、セクシュアルハラスメント、過労死等、アスベスト、建設労働者や俳優などの労災認定、名ばかり管理職の残業未払いなどに関する、通達や関連法改正の経過を振り返れば明らかです。
「Ⅱ 労働基準関係法制に共通する総論的課題」について
働く人が、労働基準法上の「労働者」に該当するかどうかは、大きな課題です。「昭和60年の労働基準法研究会報告」は、「使用従属性」の有無を基準としているものであり、極めて抽象的であることは言を俟ちません。結局のところ当時も、そして現在に至るまで、業界によって異なることも少なくない個別の働き方の実態を踏まえて、総合的に判断されてきましたし、これからもそうならざるを得ないでしょう。明らかな個人事業主ですら、一旦契約してしまうと、発注先との関係が逆転することはあまり多くありません。労働契約前の極めて能力の高い労働者が、使用者とある程度「対等」に交渉することが可能なだけで、使用従属性を脱することは原理的にあり得ないでしょう。例えば米大リーグの大谷選手の契約交渉ですら、「米国最強の労働組合」とも言われる選手会の存在が背景にあることは、一般にはあまり知られていないかもしれません。
1や2の労働基準法における「労働者」や「事業」については、これまでも、そしてこれからも、個別具体的な取り組みこそが必要な法改正を実現するでしょう。例えばギグワーカーらの労働者性については、欧州(といってもさまざま)や米国(と言っても州で大きく異なる)などでも、法的判断が「二転三転」しているのが実状であり、日本でも同じことが予想されます。
こうしたビジネスモデルや公務と民間の役割分担にも関わることを考慮すれば、13ページで厚生労働省において「継続的に研究を行う態勢を整えること」を要請していますが、文部科学省、経済産業省、国土交通省、総務省などの業所管省庁も交えて研究を行う態勢を整えることが必要です。
そうした中で「労使コミュニケーションの在り方」について、10ページ以上にわたって詳細な検討が展開されていることは、本報告書の大きな特徴です。既に述べた通り、「使用者が***しなければならない」という労働基準法の枠組みの中で、時間外労使協定が法施行当初から定められていたことに注目すべきです。
法制定当時(1947年)に時間外労働を一切禁止することは、現実的に不可能であるとともに、一方で何らの規制もしないこともあり得ない状況でした。文字通り食べるものもない中で、泊りがけで法律を作ろうとしていた労働省の若手官僚らは、そのときに「過半数労働組合」に対して絶大なる期待を寄せたのです。過半数労働組合が拒否すれば、一切の時間外労働をしないというのは、他の労働条件をめぐる団体交渉においても「それでは協定は締結しない、一切時間外労働はしない」という戦術につながりました。残業を余儀なくされる多くの職場においては、現在もそうです。
なお、労働組合の組織率低下について言えば、過半数労組となるともっと低くなることも注意しなければなりません。また、「官製春闘」であったり、一部大企業が、労組が要求する前に賃金引き上げ「回答」(=通知)したり、労組の要求以上の賃上げ回答をするような残念な現状があります。ますます「労働者代表」が「多様な希望に応える」ための仕組み作りが喫緊の課題です。労働者代表の選出について、挙手や持ち回りで選出してもかまわない、と言ったようないい加減な通達ではなくて、労働基準法にきちんと位置付けた法改正が絶対に必要です。
26ページで述べられているように労働組合法との整合性を図るとともに、すでに他の労働法においても、労使協定で「調整・代替」されている事柄が膨大になっていることを踏まえると、それらの法律でも労働者代表の適正な選出とその活動保障を条文に組み入れることも必要になります。代表に選ばれなかった「候補者」や過半数に満たない労働組合の意見や活動も現行通り保障され、不利益取扱いがないようにすることは言うまでもありません。何よりも労働基準法の実効性の確保は、労働者代表の適正な選出とその活動保障によって実現するものですから。
「Ⅲ 労働時間法制の具体的課題」について
労働時間の規制を考えるうえで、そもそも労働時間とは何か、その把握を使用者はどのように行うのか、どのようにすれば法規制の実効性が確保できるのかが大きな課題です。いずれにせよ労働時間短縮を進めることは当然ですが、むしろ2の「労働からの解放」から考えるべきではないでしょうか。つまり休憩、休日、使用者と連絡をとらない(つながらない)間は、間違いなく労働時間ではないはずです。
例えば過労死の認定基準においても、実は労働時間と脳心臓疾患や精神障害の因果関係が医学的エビデンスとして必ずしも明確ではない中で、睡眠時間が確保できないことから逆算されて、いわゆる「過労死ライン」が引かれています。テレワークでパソコンをオフにしていたとしても、家で仕事のことを考えている時間までを使用者が把握するのは、事実上不可能ですし、それを法律で義務付けることは非現実的で、プライバシー保護の観点からも危険です。
その上で、報告書において、「企業による労働時間の情報開示」を取り上げていることは、高く評価すべきです。もちろんそれ自体の「ファクトチェック」は必要になりますが、それはⅡの労働者代表制度が適切に整備されれば解決できるでしょう。
さらに37ページの管理監督者の役割や、その健康・福祉確保措置の必要性や法的要件の明確化と言った指摘も極めて重要です。労働者であるにもかかわらず、労働基準法施行以来70年以上にもわたって労働時間規制の対象外であったことに関して「研究」を進め、少なくとも法的な「要件を明確化すること」は絶対に必要です。
40~41ページにおける、「『13日を超える連続業務をさせてはならない』旨の規定を労働基準法上に設けるべきであると考えられる」という案について、「精神障害の労災認定基準も踏まえ」13日というのは理解に苦しみます。ワークライフバランスの観点からも、7日を超える連続業務をさせてはならない、せめて10日を超えてはならない旨の規定を設けるべきです。勤務間インターバル、つながらない権利、年次有給休暇制度についても、積極的な数字や時期を明記して法改正を進めなければ、何も変わりません。
とりわけ努力義務に過ぎないことからほとんど実現していない勤務間インターバルの法的義務化は喫緊の課題です。併せて現行の11時間は短すぎるので早急に12時間にすべきです。大幅な労働時間短縮が進んだドイツの話など参考になりません。
11時間空けるとしても、夜の10時まで働いた労働者が、翌朝9時に出勤するのは大変です。総務省の調査で平均通勤時間は1時間19分、世界的に最も短いとされる睡眠時間も7時間12分です。残された在宅時間はわずか1時間半。風呂に入って食事をするのが精いっぱいです。やはり総務省の調査では、共働き世帯の家事時間(育児・介護などは別)は、妻2時間37分、夫34分です(「妻」=女性と思われる)。足して2で割っても1時間半を超えています。結果としてあらゆる調査で日本の働く女性の睡眠時間は、15~30分程度男性よりも短いのが現状です。「女性活躍推進」に必要なのは、女性支援だけではなくて、全体の労働時間短縮であることは多くの識者が指摘しているとおりです。使用者は、翌日必ず9時から働かなければならない労働者に、前日の10時まで働かせるべきではないでしょう。あるいは夜の10時まで働いた人は、翌日は9時以降に働かすことを義務化すべきです。
副業・兼業の場合の割増賃金の議論は、全く実態に即したものになっていません。調査や文献などの根拠が示されていません。そもそも自ら副業を望む労働者はどのくらいいるのでしょうか。企業は自らの経営ないし労働者教育をはじめとする労務管理責任を放棄して、自分で他で仕事を探してくれと言っているだけではないのでしょうか。生活のためにダブルワークで8時間以上働かざるを得ない労働者の中で、本当に労働基準法通りに割増賃金を支払ってもらっている人がどれぐらいいるのでしょう。労働基準監督署の申告や是正勧告件数を何件あるのでしょう。割増賃金規制を免れるために、名ばかり子会社を作って名ばかりダブルワークをさせて賃金を節約しようとすることもあり得ます。
49ページの「賃金計算上の労働時間管理と、健康確保のための労働時間管理は分けるべきだと考えられる」というのは、机上の空論で使用者が賃金計算に必要なければ、労働時間を把握しようとせず、健康確保のモチベーションが起きないのが現実です。多くの管理監督者がまさにそうです。あまりにも使用者性善説に則ったナイーブな学者さんの議論です。
むしろ割増し賃金は、あくまでも管理者ならびに使用者の「ペナルティ」としての位置付けを明確にすることが必要です。始業一時間と、終業の一時間に大きな差があるのでしょうか。たしかに本業と副業の間で案分して負担することが一つの方法です。粉じんなど、有害物質の民事損害賠償の負担においても行われています。ここでも労働者性(副業が個人事業のみ認める会社も少なくない)が問題となりますが、いずれにせよ労働時間は、あくまでも健康管理の課題として考えるべきです。労働安全衛生法改正の大きな課題でもあります。